■ コーディング(1)


en・code
━━ v. 符号化する, 暗号文にする.

de・code
━━ v. 暗号(code)を解く, 復号する.


「デクステラ!」
 いた。見つけた。
 やっぱりこっちの方にいたんだ。
 廊下を歩いてた緋色の短髪の後姿が、私の呼びかけに立ち止まって振り向いた。GOTTの本局ビルの中、ESメンバー専用区画のこのあたりには、他の人の気配もほとんどない。
 歩みを止めたデクステラの方へ、私は駆け寄っていった。彼はいつもどおりの冷静な様子で――ちょっと悪く言えば、無愛想な表情で?――私を待ってくれている。手には書類の束なんかを持ってたりしてた。
 やっぱり、今日も普段通りに仕事をしてたんだろうと思う。特務と特務の間、私たちの場合は受付嬢として勤務する期間だけど、彼の場合はGOTT・ESメンバーの長としての面倒なデスクワークとか、ブランやメアリーアンたちと協力しながらの諜報活動のチーフの仕事とか。
 予想はしてたけど、本当にいつもと全然変わらないその姿に、すごいなぁ、と素直に思った。この人は本当に仕事熱心で、真っ直ぐで、曲がったことが大嫌いで、潔癖で、――いつも冷静沈着で。
 …そう、だけど。素直に感心する、それとは別の、どこか心の奥で、――そう、確かに、私は少し失望していた。
 彼の所に早足で近づきながら、そんなことを考える。それが表面に出ないよう、心を取り繕った。
「ね、今からリュミエールたちの所へ行こうと思ってるの。―― 一緒に行かない?」
 彼の横に着いて開口一番、私はそう言った。笑顔が壊れないように、自然に聞こえるように気を付ける。
 もちろん、私が聞きたかったのはYesの返事だったのだ。けど。
「いや、遠慮しておく」
 何の躊躇いもなく、そういう答が返ってきた。全然変わらない、微動だにしない表情。
 …なんとなく、そう答えるだろうなとは思ってた。思ってたんだけど。気を払ってたんだけど。
 私はだんだん、やるせない気分になってきて――自分の顔から笑いが消えていくのを感じた。
 彼は間違えてない。正しいんだと思う。でも。
「……パートナーの事が……心配じゃないの?」
 私は見上げるようにしてそう訊いた。けど、デクステラは黙って、窓の外の景色を見ている。

 今、本局ビル地下の特殊医療室の治療用カプセルに入っているのは、リュミエールだけじゃなかったのだ。
 目の前の、緋色の髪を持つこの人のパートナーも……というより、あの蒼い長い髪の綺麗なひとが≪ウェネヴァ≫の能力でリュミエールの危険を予知して、庇ってくれたからこそ、リュミエールは大怪我を負わずに済んだのだけど。
 かえって、あのひとの――シニストラの怪我の方が酷かったくらいだった。もう少しでエクリプス局長の≪エンコード≫の能力が必要になるところだった、って医療部の人から聞いてる。
「…俺たちが行ったところで、何が出来る訳でもない」
「……………」
 なのに、デクステラのその言葉は――諦めというよりも、どこか突き放したような言い方だった。知らず知らずのうちに、私の視線はデクステラから外れて俯き加減になる。
 …判ってる。私が行っても、デクステラが行っても、宇宙で一番って言っていいくらい優秀なスタッフの集められた特殊医療室で、私たちが出来る事なんて何もない。パートナーはカプセルの保護液の中で眠ってるし、することと言ったらせいぜいガラスの外からその姿を見るくらいだけど。
「おまえだけで行ってくればいい、受付は基本的に二人一組だから今のうちに休んでおくのも悪くはない。俺はシニストラのいない分も遣る仕事がある」
 きゅう、と私はてのひらを握り締めた。デクステラの言いたい事は判る。でも。
 でも、違うの。
 聞きたいのは、そんな事じゃなかった。
「……私、あなたの事はESメンバーのリーダーとして尊敬してるんだけど……そういうとこだけは、好きになれないの」
 ――私が口出しして良いような事じゃないって判ってたけど、どうしても言わずにはいられなかった。
「パートナーの事が……大切じゃないの?」
 思い切って、ゆっくり顔を上げた。デクステラの顔を見た。
 デクステラも、私を見てた。

 ――言いたい事はそれだけかって、言ってるような目をしてた。

 普段と何ひとつ変わることなく歩き去っていく後姿に、私はもう何も掛ける言葉を持っていなかった。



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