地上の闇を煌々と照らす夜警灯が、屋上の縁で佇む面々の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
 見下ろす先には、背の高い周囲の建物に囲まれ覆い隠されるような形で建てられた小型の研究所ラボ。小さな窓はこの位置から死角になり、灰色の地面に投影される影の動きだけがその内部に人の気配のあることを知らしめていた。
 フロンスが眼鏡ウェアラブルデバイスのスイッチに手を伸ばす。小さな起動音がして映し出された画像は抗探知アンチセンスのノイズが大量に乗っていた。素早く端末を操作して抗探知にキャンセルをかける。ノイズの消えた画面には、蠢く複数の熱量反応があった。
「……予定よりちょっと多いな。8人だ。」
 無言のままにシニストラは右腰のホルスターに手を伸ばした。左手には既に別の38口径が握られている。
 吹き曝しのコンクリートに片膝を突いていたテルグムは、眉根をわずかに寄せて隣に立つ彼らの司令官を見上げた。
 僅かな光源の中でも印象的に燃え立つ緋色の髪。地上からの光に照らし出される端麗な顔は、無表情のまま微動だにせず目標の建物を見続けている。
 訝しんだ。
 準備は全て整えられた。あとは彼の合図が発せられるだけなのだ。
 テルグムの見上げる先で、デクステラは時が止まったかのように沈黙を重ねる。傍らには両手に銃を持つシニストラ。赤と青、印象的でかつ両極端の色合いを持つ彼らが凛然と並び立つその姿は、誰が言ったのだったか、双璧、もしくは双子神と称えられるに相応しかった。
 右耳のイヤーカフ型のレシーバに手を当て、シニストラのチョーカーに付いている集音機との連動が正常であることを確かめる。
 ゆるく風が吹いて、シニストラの長い空色の髪先をわずかに揺らした。
「――戦闘開始オープン・コンバット
 独特の深い声が静かに響いた。
 ふう、と地上の明かりに引き寄せられるように、シニストラの上体がゆっくりと傾ぐ。そのまま、足がコンクリートから離れ、宙に舞った。
 スローモーションのように離れてゆくその背を目で追いながら、不思議と優雅なその姿が、落ちる、というよりも、重力の海に沈んでゆくようだ、とテルグムは思った。警戒網を超えたために鳴り出した警報の音さえも、本来けたたましく甲高く鳴り繰り返されるはずのそれが妙にゆったりと感じられる。
 視線の先でシニストラが身をふんわりと翻す。靡く空色の髪、銃を握った両腕を真っ直ぐに研究所の窓から漏れ出る明かりへと向ける。
 直後、テルグムの右耳のスピーカから着地時の衝撃音が届いた。銃声、と同時にガラスの割れる音。複数の銃撃音が鳴り響く。
 滑らかな動きで立ち上がりながら、遠目に見る地上のシニストラの、両手の銃が重ねて火を吹くのが見えた。
 獲物を捕らえる、あの冷徹な空色の視線が見えたような気がした。
 すう、とそのまま跳んだ姿は建物の中へ消え、――すぐに銃声は止んだ。ややあってから警戒音も止まる。
 一瞬の静寂が佇む面々の間をよぎった。
「――目標の非接続端末スタンドアロンを確保しました。データの回収をお願いします」
 レシーバから聴こえてくる静かな声。
「損傷は」
 デクステラが無表情のまま訊く。
「ありません」
 ひゅう、とフロンスが口笛を吹いた。メリーディエスとオッキデンスが垂らしたロープを滑り降りていった。
「相変わらず、良い仕事してるよなー」
 肩の力を抜いたテルグムが感心して言う。横から別の声が聞こえた。
「シニストラの分、正確に8発だったぜ。流石だよな」
「お前よく聞き分けられるな」
「まあね」
 振り返った先のフロンスは眼鏡に手を当て、回収されたデータの分析を開始していた。正確な分析は帰ってからやるのに、趣味なんだろうなぁ、とテルグムは考えて会話を続ける。
「なんで抗重力装置アンチGも無しにあんな事できるかなぁ。ここ、ゆうに5階分はあるだろ?」
「体重が軽い所為だろ。相対的に体表面積が大きくなるから。あとは鍛えてる時間かな、お前との違い」
母船ガーディアンに乗ってる時間のほとんどトレーニングルームで自主訓練ばっかりのような奴に付き合ってられるかよー」
「ま、たとえお前が行ってたとしても、あれだけ正確な射撃が出来るかどうかだな。3秒銃撃戦。」
「人を殺すに45口径は要らぬ、ってか。恐えー」
 軽口を交わしながらふと見ると、デクステラは彼らに背を向け、迎えに来たエストランド隊員たちの乗るヘリが降下してくる場所へと歩み去っているところだった。
「キャプテン?」
「撤収するぞ」
 テルグムは慌てて機材を纏め、抱え上げてデクステラへと駆け寄った。
「なー、キャプテンはどう思いますか? シニストラのあの化け物じみた強さのもとって」
「どれも外れだ」
 吐き捨てるように言ったデクステラの言葉は、近づいてきたヘリの音に掻き消される。
「キャプテン?」
 訊き返すテルグムを背後に置いて、デクステラは巨大な人工の鳥が舞う黒い空を見上げた。二重翼の風圧が髪を弄った。

「……生きるつもりが無いからだ。あいつに。」