■ 門からドアまで - from gates to the door -

 第七門セブンスゲート研究所の実験は昼夜関係なく行われる。
 ……というよりも、昼と夜とでは生体のホルモン動態だの何だのも全然違ってくるので、完璧を期す――ていうか単なる研究ヲタクたちの集まりであるところのこの研究所では、「所有物」に対する実験が夜に行われることも別段珍しいことではなかった。
 フォルシュングート研究員はそういう訳で、「所有物」の呼び出しのために薄灯りの廊下を歩いてきてこのドアの前まで辿り着いた訳である。
 ノックをしようと軽く手を上げる。
「………デクステラ………んっ……ぁ………」
 振り下ろす直前、甘い溜息混じりに漏れ聞こえてきた声に、フォルシュングート研究員の動作が止まった。
 ドアに嵌め込まれた監視用の小窓から片目で覗き込めば、大して広くもない二人部屋の真っ暗な室内で、辛うじて捉えられる睦み合うふたつの影。濃い色の素肌の背に、夜目にも滑らかに白い腕が絡んでいる。
 ドアから一歩身を引いて軽く肩をすくめると、フォルシュングート研究員は辿ってきた廊下をそのまま引き返した。
「今晩の実験予定は中止。」
 小さく呟き、手にしていた電子ペーパーに書き入れた。



 ………………………………。



「…………行ってしまいましたか?」
「……みたいだな。」
 軽く身を捻って、薄灯りの漏れてくるドアの方を見遣り、そこに人影が無いことを確認したデクステラはそのまま身を起こしてベッドサイドに腰掛ける。上半身は素肌だったが、下はズボンをきっちり着込んでいた。
 シニストラも起き上がってベッドヘッドに背もたれた。こちらも似たような格好である。
 痩せてはいないが程よく細身の長い髪の麗人が、上半身だけ裸でいるというのもそれはそれでストイックな色っぽさがある。滑らかな肩から胸にかけての白い素肌が廊下から漏れ入る光に淡く光っていた。
 ぎくりとしたデクステラは、パートナーに気付かれないよう急いで目を逸らした。


 最初は単なる偶然だったのだ。
 この第七門セブンスゲート研究所――別名を「天国の扉ヘブンズドア」と称されるその研究所――に、特殊能力の開発のため二人で自ら足を踏み入れてから一月ひとつきを数えようとした頃だったと思う。
 どんなに凶悪な人体実験の類にも一度たりとて屈しなかったデクステラが、夜、部屋に帰ってから寝付いたのは、なんとも古典的に「風邪」という理由からであった。文明発祥より数千年紀、人類は地球を越えて宇宙をも征服したが、ナノ単位で細胞の中に入り込んでくるウイルスにはなかなか勝てないでいる。
 熱の出始めらしく寒気に震えていて、けれど心配するシニストラの勧めを「研究員たちの世話にはなりたくない」と頑なに拒否してひとり自分のベッドで丸まって震えていたデクステラに、見かねたシニストラがせめてと同衾してデクステラの体をさすって温めてやったのだった(もちろん何もない)。
 熱の所為で、デクステラの息は荒かった。苦しいらしくなかなか寝付けないでいて、しょっちゅうごそごそ身を動かしていた。
 普段なら絶対に他人には頼らない人が、熱で箍が外れていた所為もあるのか、震えていた時は「暖かい」、熱が本格的に出始めてからは「ひんやりして気持ちいい」と言って、子供のようにシニストラにしがみ付いていた。
「デクステラ……」
 それがあんまりにも可愛らしくて、思わず、けれど夢現のデクステラの妨げにならないように、シニストラは細く囁いた。
 微笑ましいとか心配とかで、シニストラもその夜、ドアの外まで来ていた気配に気が付かなかった。

 翌日の朝までにはデクステラの熱は下がっていた。冗談でなく体内の対ウイルス戦の時は、薬よりも何よりも本人の気力が物を言う(気合を入れると脳が免疫機能を高める各種ホルモンを分泌するので)。
 だがしかし、実験のために呼び出されて研究室に入った途端、彼ら二人は次から次へと意味不明の研究員たちの冷やかしを受ける破目になった。
「や~デクステラ、とうとうヤったんだって? そうだよなぁ、思わず手も出したくなるよなぁ、うん」
「…………は?」
 と言う間もなく次の声が掛かる。
「体調はどーなんだ? デクステラ」
「ああ、いや……少し頭痛と熱が残っているが……?」
「うっわ~~そんなに激しかったのぉ!? 溜まってたんだね~」
「…は?」
「今日は大丈夫かぁ、シニストラ? おまえは腰とかアッチとかか?、わはははは」
「あんまり乱暴に扱うんじゃないぞ、デクステラ。ま、多少は消耗するだろうが、後遺症の残らん程度にな」
 その頃にはデクステラもシニストラもようやく事態を把握して、怒鳴り声で反論しようとしたデクステラだったが、
「あ、いいんだよいいんだよ別に、ていうかおまえたちがヤるのはむしろ歓迎らしい。」
 デクステラの怒りの気配を違う意味で取ったらしい研究員の一人が、宥めるようにそう言ったのだった。
「……はい?」
「だからなシニストラ、今、おまえたちを対象に実現化しようとしてる生体増幅機構ヒューマニック・アンプリファイア・システムは本来、血縁関係とかの生体的に近い状態にある2個体を対象にしてるシステムなわけ。で、赤の他人なおまえらで実験が成功するためにはつまり、性交でも何でもヤって心身共に同調シンクロナイズを図るのが一番なんだとよ」
「せ、性交って………」
 さばけた言いっぷりに口をぱくぱくさせたシニストラへ、追い討ちが掛かった。
「ま、そういう訳だから、気にせずにいつでもしろってさ。大丈夫大丈夫、おまえたちの同調シンクロ形成の妨害要素になるから監視も付けやしねぇって。で、その間、実験は延期。昨日の夜もひとつ中止になったんだぜ?」
「………え?」
 うーんでもちょっと羨ましいかもなぁ、はっはっは、と笑いながら立ち去っていく研究員の言葉をよそに、
 ……二人は目を見合わせた。

 目を見れば、互いの考えていることは一目瞭然だった。
 ツーとカーである。
 この辺り、伊達にエストランド時代から何年もパートナーシップを組んでいない。

 特殊能力を開発するため、自分たちから進んで、………とは言え、二人にだって実験をやりたくない(というか、やらされたくない)時もある。しんどいと言うよりめんどい時とか。休みたい時もあるしだらだらしたい時もある。二人だって人間だった。
 今までは、一切自分たちの自由にならなかった。研究所に入る際の同意書で、自分たちを対象としたその人体実験が成功するまでは銀河市民としての人権を全て放棄した「所有物」としての彼らに、実験の日時や時間帯に関する選択権など与えられていなかったのだ。
 けれど。
 今の研究員たちの言葉からすると………

(…………誤解させておいたままの方が、便利かも………)

 目を見合わせ、無言のままに同じ言葉を交わす。
 呼び出しの時に「している」振りをすれば、オヤスミになるのである。自分たちの都合のいい好きな時に。
 どうやらこれは、この研究所で二人が初めて手にしたらしい舵だった。




 という訳で、今夜実行したその擬態を今までも何度か繰り返してきた二人だったりする。
 またそれが、『エニウェア』『ウェネヴァ』と仮称されている、最近とみに彼らの中で大きくなりつつあった特殊能力の形成のために思わぬ効を奏した。どちらかが、あるいは互いが実験面倒だなぁと思うその日、シニストラの能力で何時ごろに次の実験のための呼び出しがあるか、デクステラの能力で研究員の誰が何処に居て、どの辺りを歩いてきているか、大体判るようになってきていたのだった。まさかそういうことで自分たちの能力が研鑚されるとは全く以ってお釈迦様でも知らぬ仏のお富さんである。

 ……だがしかし。

 無意識の欲求に、デクステラは再びベッドヘッドに背もたれたままのシニストラの方へ目を遣った。
 暗闇に浮かび上がる仄かな白い肌。腕、背中から腰にかけてのしなやかなライン。ジーンズの裾から覗く細い足首。
 自分を見るデクステラの気配に気が付いたシニストラが、ふっと空色の瞳をデクステラに向けた。体の動きに長い蒼銀の髪が肌の上を滑った。
 その光景に、自分の指が滑る感触を重ねて想像する。瞬間、沸いた身の内の熱にデクステラは思わず体を竦ませて目を逸らした。

 閉鎖された環境。
 雄の本能の欲求を解消する機会も、何ヶ月と無く。

 何よりも――何年も生死を共にしてきた、憎からず想うただ一人の相手と、振りだけでもそういう事をしていれば、日ごとに蓄積されてゆく熱が体の中に篭もるのは当然のことだった。

 自分の躯の下で組み敷かれる細い躯。
 自分の背中に廻った腕の感触。指の感触。
「…………ぁ……ふ……デクステラ………」
 熱い溜息混じりの甘い声が耳元で囁く。
 その全てが演技と知っていても、背筋を内側から熱で撫で上げられるような衝動に、本気で抱き殺すほどに抱きたいと何度思ったか数え切れなかった。

 対するシニストラの方も、大して事情に変わりは無い。

 デクステラに対して長年の強い尊崇と共犯者のような連帯感を持ってはいても、それに恋愛感情を全く含んでこなかった彼にとって、研究員たちから当たり前のようにそういう関係、それからいわゆる「自分が下の役」だと思われたのは結構な驚きだったが、そういう振りを続けているうちにそれも段々と違和感なく………を通り越した自分に気が付いた時には後の祭りだった。
 覆い被さってくる躯の重みを愛しいと思う。上半身だけ、けれど素肌の触れ合う熱の暖かさを嬉しいと思う。
 睦み合う演技の途中で時々ふと注がれる、僅かに細めた紫の瞳の……本物の恋情のように錯覚しそうになる視線を、もっと欲しいと思う。……侵食されたいと思う。
 夜、とりわけてそういう演技をした日の夜中、シニストラが寝付いた頃に離れたデクステラのベッドの方で一人している気配があって(まあ男だからね)、無意識に、勿体無い、とか思っていて、
(どうせなら、俺の躯を内側までじっとり濡らしてほしいのに………)
 なんて考えたりしていた。
 そのいちいちの自分の想いに自分で気が付くたび、死ぬほど一人で狼狽えた。特に最後のひとつには本気で死にたくなるほど落ち込んだ。


 いつも同じパターンだと疑われるかもしれない、ということで、呼び出しに来た研究員が耳を欹てるタイミングに合わせて、睦言のバリエーションを変えてみたことがある。

「………シニストラ……イイ、か………?」
(~~~~~っ何て事を訊くんですかあなたはっっっ!)
「……デクステラ……っん、……もっと…………」
(~~~~っそんな声出すんじゃねぇ! 勃つだろうが!)

 双方ともが、深く後悔した出来事だった。



 その辺り、互いに全く気がついてないところが最大の問題だったりする。



 無意識に吐いた溜息は、二人分ふたつが綺麗に重なって薄暗い室内を揺らした。思わず視線を上げて互いに目を合わせて、気まずい空気に再び顔を反らす。

(こいつは
       }こんな事、早く辞めたいと思ってるんだろうな………)
(この人は


(……あ、そうだ、でも、)

「もうすぐ、こんな生活も終わりますね」
 重苦しい空気を振り払うように、咄嗟にシニストラがことさら明るく話し掛けた。
 生体増幅機構ヒューマニック・アンプリファイア・システムによる彼らの特殊能力の開発はほぼ完成に近づいてきていた。あともう一段階の進捗があれば、能力に関する総括データを収集した後で出所する事になるだろう、とプロフェート管理官から聞いている。
 だが、デクステラはパートナーの言葉にぎょっとしたように目を見開いて身を強張らせた。
 シニストラも、自分の言葉の意味する所に自ら気がついて体を硬直させた。


(もうすぐ終わる…………)


 もう、関係のあるような行為を演じる必要はなくなるのだと。
 ここを出れば、たとえ演技であったにせよ、たとえ一時の事であったにせよ、確かな歓びと共に触れていた相手の躯に手を伸ばす機会はなくなるのだと――――――。

 不意に陥れられた未来の苦しさに、眩暈がしそうだった。






 ……好きだ。
 こいつが好きだ。
 この人が好きだ。





 思う互いの想いに、気がつく術はまだ無い。


(…………やっぱり、こいつは嫌だったんだろうな。こんなに明るい顔をして……)
「……そうだな、早く終わればいいな。」
(………ああ、やっぱりこの人は嫌だったんだ。……そう、だよな。)
「……そう、ですね。早く……終われば、いいですね。」

 先にかっとしたのはデクステラの方だった。
 自分が言ったはずの言葉をそのまま返されて、理不尽な怒りが込み上げる。
(……そんなにおまえは嫌だったのか。早く終われば、なんて――――)



 早く終わる。
 ふと気がついて我に返った。


「……なあ、躯の繋がり………って、本当に俺たちの特殊能力の開発に役立つのか?」
「え?」
 きょとんとした顔でシニストラが見返してくる。

「結局、俺たちはそういう……関係を持たずに、ほぼ特殊能力開発の実験に成功した訳だよな」
「そうですね」
「だったら、本当に関係を持っていたとしたら、もっと早く能力を手に入れられたのか?」
「さあ……………」


 本気で考え込んだらしいシニストラへ、さらりと言えたのは奇跡としか言い様が無かった。


「試してみるか?」



「……え?」
 2拍と四分の三ほど遅れてシニストラが問い返す。
「おまえが嫌じゃなければ、だが。」
 その言葉の意図するところに気が付いて、慌ててシニストラが返事を返す。
「いえ、俺は別に嫌じゃないです」
「あと一息とはいえ、早いに越したことは無い。GOTT局長も俺たちの帰りを待ってくださっている」
 表面上は平静に見えていても、自分の思わず口走った言葉にデクステラ自身が内心相当混乱していた。GOTTだろうが局長だろうが何でもよかったのだ、自分の提案を言い繕う言い訳があれば。
「ええ、はい、俺は良いです。大丈夫です」
 シニストラも相当に狼狽えている。
 次の動きをお互いが考えあぐねる奇妙な間が一瞬流れた。
「じゃあ……………」
「はい、あの、宜しくお願いします」
(~~~~宜しくお願いしますって何がだっ)
 自分の狼狽ぶりに泣きたくなるシニストラだった。
 混乱を極めたシニストラを、力強い手がふわりと不思議な柔らかさで引き寄せる。
 一気にシニストラの躯が熱くなった。脈打つ鼓動の速さは尋常ではない。
 何度も想い描いていた状況であるからこそ、強張る体の硬さはどうしようもなかった。
「デクステラ…………」
 導かれてベッドの上に抱き敷かれてゆく途中で呼び掛けた名前は、我知らず、囁きのような声になった。
「心配するな。…力を抜け………」
 耳元で注ぎ込まれる低い低い声は、その威力を余すところなく存分に発揮していた。ぞくりと躯の奥が疼く。
 この浸食される感覚。ずっと欲しかった………
「俺に任せればいいから………」

 自分の腕の中でくたりと力を失ったように、従順に自分へ身を委ねたシニストラの肌の熱さに、デクステラも眩暈を覚えていた。
 長い長い間、恋焦がれていたのだ。艶やかな髪。滑らかな肌。揺れる瞳。
 何度も重ね合わせたはずの肌の感触さえ、今までとは全く違うような気がして、現実かどうか確認するようにシニストラの胸から腰にかけてのすべらかな肌を手で辿った。
「………っ………ぁ……――デクステ………」
 密やかに上がった声は、かつて聴いた声と比べ物にならないほど、細く小さく、―――甘い響きを帯びていた。
 僅かに残っていたデクステラの理性は、そこで音を立てて切れた。
















「……今日はまた、ずいぶん燃えてるみたいね、あの二人。」
 管理棟の方にまで遠く響いてきた高く細い声をBGMに、プロフェート女史は婚約者の淹れた伝統的なグリーンティを啜った。
「こっちの方まで聞こえてくるって初めて? さっきはそうでもなかったみたいだけどなぁ」
 何かあったのかねぇ、とフォルシュングート研究員はからからと笑う。
「………明日の予定に、総データ収集、入れておいて頂戴。染色体地図化ゲノムマッピング、身体検査、精神検査、他のも全部セットでね。」
 彼女のその言葉の意とする所を知る彼は、怪訝そうに眉をひそめた。……完了、ということだ。
「明日? 本当に?」
 朝になれば彼らの特殊能力が完成されているということ?
「もう間もなくよ、彼らも、……私たちもね」
 柔らかい表情は、心を交わす相手にだけに見せる微笑だ。
 思わずやに下がったフォルシュングートの耳に、もう一度、高い声が微かに聞こえてきた。
「……ま、夜勤の身には辛いよなぁー」
「あら、私と一緒の仕事でそういう事を言う?」
「一緒だからこそ、だろ?」
 そこで辞めておけばいいものを、
「………まあ、シニストラくらい綺麗だったら、一度は抱いてみたいとか思わないこともないけどな」
 なんて言うものだから。
 むっとした表情を巧みに隠し、プロフェート管理官は軽く小指を噛みながら、妖艶に呟いてみせた。
「そうねぇ……私もデクステラくらいの男なら、一度は抱かれてみたいかもねぇ………」
 その言葉にぎょっとする婚約者を、横目で眺めて満足する。






 とにもかくにも。
 おめでとう。
 ゲートをくぐってからというもの、ドアに辿り着くまでにやたらと長い時間を要した二人は、
 この時になって、ようやく天国を見たということでした。


















 ………が、しかし。
 物語は、めでたしめでたし、で終わらない。




 結局最後まで自分たちの気持ちを明かさなかった二人が、余計にややこしくなった彼ら自身の関係とその事態に気が付いてから後の事は、また別のお話。
 別の時、別の場所で語りましょう。